原則

 別に盗み聞きするつもりはなかったが、二人の男性が大きな声で話し始めたので否応なく聞こえてしまった。  30才くらいの男性に、中年の男性が話しかけた。 「首の調子はどうなの?」 「首はいいけど、肩がぱんぱん。めまいもするんで不安ですよ」 「めまいがするんですか」 「この前自転車に乗っていてひっくりかえたんですよ」 「あぶないですね、何かにぶつかったんですか」 「いや、めまいですよ」 この辺りまで来ると、職業柄、日常やっている問診が浮かんでくる。冷えはどうかとか、お通じはどうかとか、ストレスはどうかとか。 「それに寝れないんですよ」 「不眠ですか。いつ頃からなのですか」 「もう半年くらいなんですよ」 「それは大変ですね」 もうこうなると気の毒で、職業を明かして何か助言をしようかと思った。ただ、見ず知らずの人達であるし、何か商売根性を出しているようなので、お節介はやめた。やめといて良かった。次に聞こえたのがこんな会話だったから。 「私も一応医者ですから、原因を自分で考えているんですが」 よかった、釈迦に説法をするところだった。ジーパン姿でスリッパ、如何にもリラックスしている風だったから、その様にはとても見えないし、華奢でどちらかというと治療される側のように見えた。白衣を着ていないから、正直な体調を吐露していたのだろう。あの年齢では勤務医だろうから、かなり過酷な日常を送っているのではないか。恐らく睡眠も十分とれずに、夜を徹して働かされているのだろう。原因を考えていると言うが、そんなもの考える必要もない。首から上に血液を集めているのだ。頭の中を満タンにして眠れるはずがない。肩も首もこるし、めまいもする。脳もフル活動するに決まっている。ところが窮屈なことに、医者は原因を決めなければ手が出ない。検査で異常が出なければ手を出さない。ところが人間の身体は検査される為に出来ているのではない。数値で病気が全て分かるはずがない。境界線上ギリギリで懸命に生活しているのだ。不調は即病気ではない。僕の頭の中ではほぼ処方は出来上がったが、後ろ髪を引かれることもなくその場を立ち去った。どうせ、安定剤や筋肉弛緩剤を飲んで自分の身体をごまかしごまかし働くのだろうが、世の中にはもっと適したものがあるって事にいつか気がついて欲しい。そうしないと、自分の患者さんにも、最善の方法を選択してあげれないだろうから。  僕は薬局を離れたら薬剤師にはならない。良かった。長年徹底している原則を守って。