氷点下

 ある中年女性が、薬が出来るのを待っている間に、ため息をつきながら暗い表情で一言漏らした。「大変な時代ですね」と。何を想定して言った言葉か分からなかったが、何となく大変は大変だろうなと思ったので安易に同調していた。ヤマト薬局のコーヒーをとても気に入ってくれている女性で自分でつくりながらその「大変」の内容を教えてくれた。  なんでも、彼女が働いている地場産業に高校を卒業したばかりの人が入ってきたというのだ。考えられないことだと言うのだ。なるほど、彼女の職場を僕は良く知っているが、100人近い従業員の中に、若い女性はまずいない。勿論男性の正社員はいるが、ほとんどが、おばちゃん達、いやおばあちゃん達で小遣い稼ぎと外部からは見られている。好きな時出て、好きな時帰っている。年金の不足分や孫の小遣いを稼いでいるのがまず多くの人の働く理由だろう。自分たちと同じ職に若い女性が就くとは考えられないと言うのだ。  なるほどこれは大変だ。大変すぎる。外国と偉いさん達のためにだけに働いた男が政治をやっていた頃から想像はついていたが、当時訳も分からずはやし立てていた人達も今になって「首切られまくり」状態に甘んじている。そのしわ寄せが若い人達にも及んでいるのだろう。これからの人達に、これからがない。この世は恵まれた人間だけのものなのか。抵抗の手段を持たない人達は住みかも追われ寒空の下で朝を待つ。その朝に希望があるのか。ただ太陽が少しばかり気温を上げてくれるだけではないのか。  いつからこの国の人達はこんなに従順になったのだろうと思うが、長い間それなりに満足して暮らしていたのだろうなとも思う。その間、価値観は経済に乗っ取られ、善悪は二の次になった。満足は経済で保証され精神の枯渇は財布の中で隠蔽されていた。貯蓄の大半を持つ老人達が、子や孫をこの状態に導いた。金で買われた世代が金で捨てられる世代を作った。  氷点下は血も心も凍らせる。必ずやってくる朝に吐く息もない。