時計

 意識してみるわけではないが、偶然見た映像や写真で、僕がまだ幼いときの時代の貧しさを認識させられることがある。比べるものを持っていないので、その時その時にそんなことに気がつくわけもないが、現代の豊かな日常風景からしたら雲泥の差があることに気がつく。何もかもが変わったと言っていいのかもしれない。変わっていないものは何なのだろう。それを見つけることの方が難しい。目に入ってくる全てのものが変わっている。  目には見えない心、あるいは精神は見えるものとは違った時計を持っているように思う。山が削られ、海が埋め立てられ、電車が走り、車と人が溢れ、コンクリートの中で暮らし、ジェット機が世界を結ぶようになるには半世紀もかからなかった。見える時計はますます加速度を増し、昨日はいともたやすく今日に取って代わられる。  ところが見えない時計はゆっくりと悠久の時間を刻む。今でも多くの人が紀元前の偉人の教えを守り心の拠り所にしている。会ったこともない、見ることも出来ない、触ることも出来ないお釈迦様やキリスト、マホメッドなどを魂の拠り所にしている。またルネッサンス時代の美術に心を奪われ、200年前の音楽家の曲を世界中で奏でる。価値あるものは滅びないのだ。時間を止めるくらい、いや逆戻りさせるくらい力強い。  外見は歳月と共に衰えるが、心の中は青年期のままのようでもある。偉大な人達が時間を超えて生きるのには比べられないが、凡人の心も少しは立ち止まることが出来る時計を持っているのかもしれない。