野球少年

 薬局を開けたらすぐ飛び込んできた青年とは久しぶりに会う。10年以上会っていないのではないか。高校を卒業する頃、僕のバレーボールチームに入ってきた。メンバーの一人と近所だったよしみで誘われたらしい。甲子園を目指していた野球少年だったから、がっちりとした体格で、運動神経はさすがに抜群だった。ところが、野球とバレーでは使う筋肉が全く違うし、動きも違う。野球で鍛えた分バレーにはハンディーだった・・・こんなバレー談義のつもりで書き始めたのではないが、全く話がそれてしまった。  朝からげっぷが止まらないと言う。胃カメラを飲んだけれどたいしたことはなかったとも言う。家族のことを良く知っているからおよその見当はつく。早く症状がとれる薬を出したから恐らくそれは一件落着になるだろうが、気になったのはむしろ彼が野球をする服装をしていたことだ。尋ねると、これから少年野球を教えに行くと言う。どこか幼さは残っているが、立派な大人になったのだ。田舎に帰り、地域の役に立っているんだと嬉しくなった。田舎だから人材は乏しい。少しの才能でも役に立てなければ、どれもこれもが劣ってしまう。甲子園を目指していたような彼だから、十分すぎるくらいの素材だ。体格には似合わない繊細な心の持ち主だったから、朝から胃酸をあげるような生活をしながらでも、子供達を教えているのだ。多くの先輩達が、嘗て通った道を彼も歩もうとしている。あの少年がこんなに成長するのだから、僕みたいにその道から退場する人間が出るのも当たり前だと、一人納得していた。それは心地よい自然な循環のようにも感じた。  未熟で、未完成で、それでも何かをやろうとしている青年は美しい。結果はさておいてその一途さが何とも言えぬ美しさを醸し出す。小さなことでも、少しの時間でも他者のために役立とうとする姿はより美しい。若き生物の特権だ。老練で貪欲な生き物だらけの中で余計に美しく見える。