商店街

 雨を避けて、アーケードがある商店街を行ったり来たりしていた。そんなに長くはない商店街だから、数回も往復すれば、同じ商店の店主とおぼしき人とも目があって、気まずい思いをしたりした。僕が幼い時の県下随一の商店街も、今は高齢の店主が店の奥から人待ち顔で通りを眺めている黄昏が似合う通りになった。  その中で何回通ってもちょっとした人だかりがしている店があった。つられて人だかりの中に入ってみると、ガラス越しに2畳ほどの柵の中で遊ぶ子犬が3匹見えた。1匹はぬいぐるみのように動かなくて、もう1匹はボールをくわえ、取られる心配もないのに、如何にも独り占めを楽しんでいるかのごとく駆け回っていた。もう一匹は何をくわえているのか分からなかったが、歯ごたえを楽しんでいるように見えた。どの子犬も愛らしいが、それが余計に不憫だった。  恐らく、血統書の付いた高額な犬なのだろうが、狭い空間に閉じこめられ、売られるのを待っている姿が、数日前見たイギリスの奴隷売買の番組を想い出させた。愛くるしい犬たちが売られるのを待っている姿が実は不憫なのではない。犬を黒人に置き換えた光景が不憫だったのだ。鎖で繋がれ、自由を束縛され、死ぬことが唯一の解放だった当時、犬よりも愛されることなく、無念のうちに命を奪われた人達のことが不憫だったのだ。  雨で居場所が無くなったのか、そろそろ活動すべき時間なのか分からないが、珍しく数人のホームレスと会った。どんな気持ちで通りを歩いているのか分からないが、華やかな衣服、宝飾品が並ぶ店の前を横切り、美味しそうな香りがする食堂の前を通るとき、ふと悪魔のささやきが聞こえたりしないのか。良心の柵の外へ飛び出さない所以は何なのだ。 百貨店の前で雨に濡れマイクを握っている人がいた。わざとらしい姿に雨が泣いている。犬より愛されず、それでも罪を犯さない人達が見えるのか。見えない鎖で縛られている人達が見えるのか。