選択肢

 それ以外に選択肢はなかったのだろうかと、外野は何でも言える。正義感を振りかざしてもいいし、評論家を気取ってもいい。もし仮に自分がその立場に立たされたとして、どのくらい高尚な行為がとれるかどうか考えてみたらいい。いやいや、健康で健全なとき、その様な仮定の話は、ほとんど意味を持たないだろう。理解できるはずはないのだから。 孤独は時として、思慮を深めてくれるかもしれないが、人間が社会的な動物としたら、やはり不都合が多い。特に時代が、高速で変化しているときに、個人の力で乗り越えられることは多くない。色々な人の知恵を借りて、あるいは買って対処しなければ到底追いつけない。経済的に置いてけぼりを食うどころか、人間的にも置き去りにされてしまう。  社会は法律で又裁くのか。やむにやまれぬを裁くのか。そうさせた社会は裁かないのか。助けようとしなかった社会は裁かれないのか。ご近所を、町内を破壊した社会は裁かれないのか。孤独な人間と言葉を交わさなかった社会は裁かれないのか。安全網をいつまでも整備しない社会は裁かれないのか。何もかもひ弱い個人のせいにする社会は裁かれないのか。  悲しい人の悲しい行為が後を絶たない。思いあまっての出来事が後を絶たない。喜色満面で闊歩する奴らの陰で、多くの不幸が呼び捨てにされる。まるで社会のガス抜きのように。罪を犯しても道徳を踏みにじらなかった気弱な人間を、道徳を踏みにじっても犯罪を犯さなかった人間が、さげすみ哀れむ。  選択肢を一つずつもぎ取られている人々が、今日も又一人、それ以外を捨てる。孤独で悲しい選択、絶望という名の選択肢。