アンジェラ・アキ

 アンジェラ・アキが作った曲(手紙 ~拝啓 十五の君へ~)が中学生の合唱コンクールのテーマ曲らしい。彼女が唄っているのを聴いたとき、合唱曲になるのかと思っていたが、さすがにプロ。立派な合唱曲になって中学生達が上手に唄っていた。  合唱コンクールまでの道程をドキュメントで追っている番組が数日前NHKで放映されていた。見た人もいると思うがアンジェラの地元(西宮、尼崎?)、長崎県の離島、東北の小さな学校を取り上げていた。学校の立地によって、恐らく生徒の暮らしぶり、価値観、個性などには相当の差があるのだろうが、全体としてあの年代を理解することが少し出来た様な気がした。  東北の子は、2人だけの合唱団だったが、まず、共同で一つのことを達成しようと頑張る子供達の輝きがまぶしかった。勿論合唱も美しかったが、大きな口を開け、身体を揺らしてリズムを取っている姿は、唄以上に美しかった。どんどん成長していっている世代しか持っていない生命力に溢れていた。何をおいてもあの時代の生命力は美しいのだ。僕は中学校時代は、都会の高校に進学するためだけに、問題集をがむしゃらに解いていた。誰かと何かをやり遂げるなんて体験は全くない。むしろ人より1点でも多くとることしか頭にはなかった。その後の人生なんて何ら具体的に描けなかったので、直近の入試だけが全てだった。  未来の、いや3学期の自分に手紙を書いてみてと、アンジェラが提案して、西宮の合唱部の生徒が書いて読みあげた。何人かが読んだが、現代の中学生の心の中に想像以上に重たい雲がたれ込めていることを知った。人間関係の悩みがつづられていて、込み上げる涙で読むことが出来ない生徒もいた。一見快活そうに見えても、みんな必死で演技しているのだ。嫌われることを恐れて。その子を抱きしめるアンジェラもまた、同じような体験を持っている。だから彼女の唄が世代を越えて受け入れられるのだろう。当時の僕などには全く考えられもしなかった心模様なのだが、あの時代にも心を痛めていた仲間はいたのだろう。それに気付くほど僕は繊細ではなかった。と言うより、それに気づくほどの原体験を持っていなかった。その後、それなりに挫折を経験して、少しは人の痛みが分かるようになったが、あのまま旨くいっていたら、どれだけ無意識のうちに人を傷つけて生きてきただろう。  舞台で唄った後、多くの生徒が泣いていた。やり遂げた後の達成感が一気に爆発するのだろう。泣けるほどの達成感って、どんなものなのだろう。そこまで努力したことがないし、そこまで協力しあったことがないから、想像もつかない。若者達の純粋な涙に誘われて、ブラウン管のこちら側で、もらい泣きをしている姿は滑稽かもしれないが、あの世代の日常こそが、一つ一つの作品のように思えた。何も特別な人でもなく、何も特別なものを持っていなくても、輝いているのだ。一人一人が、異なった表情で、異なった声で輝いている。そこにだけは、太陽の光はいつもさしていて、希望の花が咲く。  誰の言葉を信じて歩けばいいの・・・・勿論自分自身。誰の言葉を信じてはいけないの・・・お金儲けのために、あなた達の将来を破壊した年寄り達。