舞台

 今年の梅雨は岡山県も、かなり雨量が少なかった。例年の2割くらいだという。 岡山市から30分かけてバイクに乗って来たおばあさんは、大正15年生まれと言うから83才だ。脊椎管狭窄症で台所にも立ちづらかったのに、今日は初めてバイクに乗って自分でやってきた。今までは近所の人に車で送ってもらっていたのだが。  よりによって、薬を作っている間に、雷の音が聞こえ始めた。小さな音だからそんなに近くではない。夕立にでもなったら気の毒だし、危険も伴う。もしこのまま雷が近づいたら、車で送ってあげようなどと考えながら薬を作っていた。  運良く会計が終わってからもそんなに雷が近づいた様子はない。これなら安心して帰ってもらえると思い、「ひょっと、夕立にあったらどこでもいいから駆け込んでね、危険だから」と声をかけた。するとおばあさんは、雨が少ないからザーッと降ってくれればいいのにと言った。おばあさんにとっては、今差し迫る雷よりも、田圃を濡らす雨の方が大切なのだ。その答えを聞いて、僕はなんて軟弱な挨拶をしているのだろうと思った。「こんなに涼しいところで仕事が出来たらいいなあ」とは、この時期良く言われる挨拶なのだが、焼ける太陽の下で、汗も出なくなるほど働いたこともないし、しもやけて、指が腫れるほどの寒さの中で働いたこともない。軟弱な人間からは軟弱な言葉しか出ない。  ずっと働いていたいからと、30分バイクに乗ってやってくる83才のおばあさんの、温厚そうなほほえみの中に秘められた意欲が、腰の痛みも吹っ飛ばした。もうほとんど治ったと思うのだが、100点を取るとは、圧倒されそうだ。どこにでもいるようなおばあさんが、百姓魂を見せてくれる。薬局では毎日、小さな舞台がある。