烏(からす)

 物知りな人はいるものだ。自分で目撃したのか、聞いた話なのか知らないが、僕には初めてのことなので、ただただその人の物知りぶりに感心するだけだ。  公園に子猫や子犬を捨てるとすぐにいなくなると言うのだ。その原因が何と烏なのだ。これは意外だった。さすがの烏もまさか子犬や子猫を襲わないだろうと思っていたら、知恵ものの烏は、ひょいとつまんで大空高く飛び上がり、高いところから落として殺すそうだ。そしてゆっくりと食べるのだそうだ。高いところから落ちれば死ぬってことをあの小さな頭は知っているのだ。また鳩を狙うときは後頭部をつついて気絶させたり、目をつついて見えなくしてゆっくりと料理するそうだ。なんだか聞いているだけでぞっとするような光景だが、人間が烏を嫌う理由が分かったような気がする。  それは残忍な烏の生態を嫌っているのではない。直接的にはあまり烏に危害を受けることがない人間が、特別烏を嫌う理由は、似ているからなのだ。その残忍な行為は、人間がやりそうなことだ。いや、人間の方が何倍も残忍だ。烏のやっていることは、人間が日常的にやっていることなのだ。だから人間は烏のそれを直視できずに嫌うのだ。烏を見ながら自分たちを投影してしまうのだ。人間のような烏と、烏のような人間が、生ゴミの収集場所で共存しているのだ。弱肉強食のルールのないルールは、空を飛ぶ黒衣の鳥も、地を這う二本足も共通のものだ。僕らはくちばしを隠している鳥かもしれない。