裏門

 落ちてからずいぶん日数が経っているだろうと思われる枯れ葉が雨に濡れ、車止めや門柱に吹き寄せられている。あまり人が利用しない中学校の裏門でもいつも人の手が加えられ、清潔でこざっぱりしていた。裏門という性格上ありがちな、落ち葉が積もるような光景はあまり見たことがない。最近は経費削減の影響かどうか知らないが、学校回りの整理を、教頭先生などの管理職がになっていることが多い。時々草をむしっている姿を見かける。  実は中学校に関して言えば、あるお年寄りの奉仕で清潔を保っていた。朝から酒を飲んでろれつが回らないのに喋り好きで、近所では疎まれている老人の奉仕が目の届かないところまで、綺麗を保っていた。片側1車線の道路を横切るのにも困るくらい足腰が弱っているのに、毎日裏門から中学校に入り、はいつくばるようにして雑草をむしっていた。炎天下で麦わら帽子に隠れそうな痩せこけた身体で、独り言を言いながら鎌になっていた。 その老人がついに自宅では暮らせなくなり施設に入った。途端に花壇から雑草が覗き始め、そのうち雑草だけになった。落ち葉が散乱し、風に吹かれて隅に積もるようになった。ナメクジが這うような奉仕も、日々積み重なれば、広大な敷地をも非の打ち所がないくらい綺麗にした。僕は老人が朝から酒を飲まなければならない苦しみを知っている。鎌になり、ナメクジになってまで考えたくないことを知っている。それでもなお、完全に頭から消せないことも知っている。やるせない心が大声を上げさせたり、独り言を繰り返させていることも知っている。  ある日降ってわく困難は誰を襲うか分からない。解決出来ないことだって降ってわく。打ちひしがれた心を救うのが酒と奉仕としたら、自暴自棄になりきれるほど自暴自棄ではないのだ。酒も奉仕も悲鳴なのだ。誰の所にも届かない悲鳴なのだ。悲鳴は車止めや門柱に吹き寄せられ涙雨を待っている。