「似なくてもいいところばかり似る」とは、言い古された言葉だが、似て欲しい所などないから仕方ない。可哀相な気もするが、全て自分の個性として付き合ってもらうしかしょうがない。  娘が薬局製剤という本に従って、水虫の薬を作った。主成分の粉薬を仕入れて軟膏板の上で練って作っていた。僕も以前挑戦しようと思ったが、煩わしさと効果の程が分からなくて挫折していた。過日、薬剤師会でその薬の作り方の講習があり、早速帰って材料を取り寄せていた。行動がとても早かった。  もし効果があるなら、メリットはとても安いってことだ。流通している水虫薬の半値くらいだから喜ばれるだろう。効果がなければデメリットはかなり大きい。薬を作ったヤマト薬局が悪いことになる。製薬会社の責任には出来ない。僕はどのくらい効果があるのか知りたかったので3人に出してみた。昨日今日とそのうちの2人が漢方薬を取りに来たので、尋ねてみると2人ともかなり効いていた。糖尿病のおじさんの足の水虫は、白くふやけて痛々しかったが、一見しただけでは分からないくらい改善していた。もう1人の漁師さんの足は見せてはもらえなかったが、よく効いていると太鼓判を押してくれた。実は娘が作ったんだとうち明けたから好意的に話してくれたのかもしれないが、無くなったら又取りに来ると言ったからまんざらおべんちゃらでもないのだろう。娘は調剤室でおそるおそる僕等のやりとりを聞いていたが、良い返事をもらえたので胸をなで下ろしていた。自分が作った薬を初めて飲んでもらうときは緊張するものだ。僕が漢方薬を覚えて帰るたびに牛窓の人に飲んでもらって、効果を確認していった頃を思い出す。望んで就いた職業ではなかったから、全てが手探りだった。これはと言うものに出会えたのは牛窓に帰って10年目だった。  探し物は大通りを歩いていては見つからない。路地裏に紛れ込み、カビくさい土壁が落ちた坂道を、捨て猫に導かれながらうつむいたまま、猫にもなれず、人にもなれず歩いた時、向こうから姿を現してくれる。凡人には空は大きすぎて、海は広すぎて、夜は深すぎる。竹藪をすり抜けて嗅覚に吹く風に、ただただ翻弄されて朝を待つ。向こうから姿を現してくれる朝を待つ。