最初初めて会った時、この子を治せば過敏性腸症候群なんて全員治せると思った。関東から2回訪ねてきて、3回目を迷っている間に治ってしまった。今頃どうしているんだろうと妻と話していると、1年ぶりのメールが突然入ってきた。  当時、JRの深夜便で乗客がまばらな時間帯以外には電車に乗れなかったのに、今はバスの前の方の席にも何の心配なく乗れるそうだ。ガス漏れに関しても100%克服している。数年間の苦しみ自体も思い出すこともあまりないらしい。それはそうだろう、何と彼が出来ていて、相談は自分のことではなく彼のことだったのだから。元々、文章がとても得意な人だったから、以前もそうだったが、彼の症状についても非常にわかりやすく丁寧に書いてくれていた。彼女の、彼に対する思いやりがとても表されていた。  2度目に訪ねてきたとき、夜、彼女と妻と3人で土手をヨットハーバーまで一緒に歩いた。その光景が一番印象に残っている。入学した高校がまさに家の前にあり、結局は学校に行くこともなく過ぎた3年間を回顧する彼女が不憫だった。どんな気持ちで校門に消えていく学生の姿を見ていたのだろう。どんな気持ちで放課後に聞こえる歓声を聞いていたのだろう。見ず知らずの僕らと過ごした数日が彼女の人生を救えたとしたら、都落ちするように田舎に帰ってきた僕自身が救われる。しかし、よくよく考えてみればいつも救われているのは僕の方なのだ。壊れそうな精神を水面に浮かべて映るのは、僕自身の姿なのだ。光は必ず空から降ってくるとは限らない。湖底からはにかみながら浮かび上がる光だってあるのだ。僕はそんな光に照らされている。