菖蒲

 濁って何も見えない小さな庭の池から、数十本の菖蒲が凛として背筋を伸ばしていた。沈殿したヘドロから命がまっすぐと育っている。主の手が加わらなくなった家の前の畑には、菜の花が鮮やかに存在を誇示し、大根がやせ細ってもなお生きようとしていた。陽光は田園に点在する集落を優しく照らし、草の匂いは穏やかに風に乗り、時間はためらいを持って、玄関先で立ち止まっていた。  亡骸は呼吸を失ったのか、拍動を忘れたのか、笑いが去ったのか、涙が枯れたのか。もはやたった一つのものさえ動かすことが出来なくなった亡骸は、家族の心の中に住まう。山はあり、川は流れ、鳥はさえずり、人は行き交う。何も何も変わらない。遠くのあぜ道で、葬列を見送り独り涙する二重の老婆。命は体温か、命は微動か。