夜の運動場

 月も出ていないし、外灯と言ったら広い運動場に2カ所しかない。近寄ればさすがにその下だけは何とかまだ明るいが、ちょっと離れれば、かすんで外灯があることしか分からないくらいの頼りなさだ。外灯が目的を果たしているとはとても見えない。そこにあることだけで何かを許されようとしている感じだ。  土の上を歩く方が膝のために衝撃が少ないと思ったので、最近は中学校の運動場を無断で歩いている。田舎の夜は早いので僕が歩く時間はもうすっかり町は夜の中に浸っていて、時折遠くを仕事帰りの車が通り過ぎる音が聞こえるだけだ。人の気配を感じることはまずない。運動場に面しているある家の方が昨日の朝急に亡くなった。救急車で運ばれるのを家から見ていた。元気な方で亡くなり方もやはり元気だった。  いつものように、暗い中を遠くの外灯を頼りに歩いていた。急に春がやってきたが僕はフードのついたガウンで未だ防寒して歩いている。何周かした頃、温かい風が急に吹いてきた。さっきまで冷気に身を緊張させていたのに。すると僕の足音にあわせて、背後から近づいているのを隠すようにザッ、ザッと言う音が聞こえ始めた。僕は気持ち悪くて振り返ってみた。でも暗い中で目を凝らしても動くものは見えなかった。少し早足で歩き始めるとその音もピッチをあげたらしくてついに耳元で聞こえるくらいになった。絶対誰かがいると思った。走って運動場から逃げ出そうと思ったが、誰もいないたった1人の状況でも自尊心は働くらしくて、僕は再度勇気を出して振りかえった。すると・・・・結局誰もいなかった。  僕は気持ち悪くなって、いや恐ろしくなって、急いで家に向かった。家に近づくに従って足音がだんだん小さくなってきた。はっきりとは分からないが、どの辺りからか足音は消えていた。諦めたのだろうか。恐ろしい経験をした。フードをかぶったまま我が家の階段を上がろうとしてまたしてもその足音が聞こえた。階段の途中で立ち止まると消える。又一段上るとザッと音がする。さすがにこれはおかしいと思って立ち止まったまま顔を横に向けるとあの音がした。何回か繰り返してやっと分かった。フードに自分の耳がすれて音がしているのだ。何のことはない、耳がすれて出る音だから耳元で聞こえるはずだ。恐らくその音は毎晩歩くたびに聞いていたに違いない。ところが今日は亡くなった方のことを思いながら歩いていたから、偶然足音に聞こえた音を恐怖が増幅してしまったのだ。恐怖が新しい恐怖を作ってしまったのだ。  同じような恐怖を経験した人は多いのではないか。全く何でもないことをドンドン増幅していって、勝手に恐ろしがったりした経験はないだろうか。  春の訪れを待っていたかのように体調を崩して相談してくる人が目に見えて増えている。特に過敏性腸症候群の方で多い。この時期にしっかり治っている人もいるから統計的に言えるわけではないが、やはり春に自律神経をかき回され、その自律神経が不安感を増幅しているように見える。もっと自信を持ってとお願いするのだが、それが出来れば悩むこともないだろう。嘗ての僕がそうであったように、なかなか我が心の中の敵は手強い。科学的な判断を心がけるように努めているが、人間らしく生きよと闇ガ誘う。