人柄

 いつもは伏し目がちに必要なことだけをしゃべって帰るだけの人だったが、今日は違った。丁度薬を渡しているときに、ニュースがラジオから流れて、ある悲惨な事件を伝えていた。どちらから言うわけでなく、とんでもない時代ですねと言うことになった。寧ろ戦争中の方が良かったかもしれませんと、戦争体験世代のその人がしみじみと言った。あの頃は悪いことをするような人はいなかったと言うのだ。それに関しては異論があるが、自由を全く奪われて生きたことの方が、現代の欲望むき出しの社会よりいいと感じているのだろう。有り難いことに、田舎にはまだ共同体が幾分か残っているから全く殺伐とした人間関係でないのが救われる。田舎のハンディーが今に長所になるだろう。どれだけ精神が荒廃したところで暮らす事がエネルギーを要するのか次第に気がつき始めた人もいる。  恐らくそんな中の1人ではないか。その婦人の家に今度研修生が来るらしい。関西の都市部から1年間お百姓を学びに来るらしい。頑固なご主人がその人を見て一目で気に入ったらしい。婦人は「得したようです」と言った。県の紹介でやって来るらしいが、顔合わせで初めて会話した時から、その人の人柄に感動を覚えたらしい。都会の人が教職を捨ててお百姓を学びに来るには何か特別の動機があったのだろう。「いい人に巡り会えるほど幸せなことはないです」と続ける言葉に全く同感だ。50年以上土地を守り、この国の人を食わしたのは、偉い人達ではない。日光を浴び続け、年齢以上に老けてしまう、こうした婦人達の謙虚な生き方なのだ。横柄な口の利き方、風を切って部下を従え歩く姿、下劣な放言、うんざりするほどうんざりがここ彼処に溢れかえっている。