消防車

 我が家の老犬がけたたましく吠えた。見知らぬ人が通りかかった様子もない。お腹が空いている時間帯でもないし、散歩の時間でもない。無駄ぼえかと思った娘が、コップに水をくんでクリの近くにかけた。クリは水を嫌うのでこれは苦手だ。普段ならこれでおとなしくなるのだが、今日は違った。10分もたっただろうか、火事を知らせる役場のサイレンが突然鳴り響いた。調剤室から外を覗いた娘が「煙が出ている」と言うので外に出てみると、数百メートル離れた尾根の向こう側から、黒煙が勢いよく上がっていた。ある農業用の倉庫が焼けたらしい。  嘗て、我が家の前で交通事故が続いたことがある。不思議なことだが、その事故の前何故かクリが落ち着かないのだ。100%とは言わないが、何故か大きな事故がある前は落ち着かない。臆病な犬だから良く吠えるのを差し引いても確率が高く何かを予知しているように見える。雑種でしぶとく生き抜いてきた生命力が五感を発達させたのだろうかと、家族で勝手に推測して悦に入っている。後からこじつけて喜んでいるだけなのだが、ひいき目とは困ったものだ。せめて犬のことだけにしてもらいたいと、まるで他人事のように言っているが、僕も完全に当事者なのだ。  何台か薬局の前を走った消防車の中に、一台だけ遅れて来た軽トラックがあった。運転手が1人乗っていただけだ。服装から消防団の人だと分かる。恐らく平日の午後だから部落に若い人が残っていなくて、1人で駆けつけたのだと思う。現場に着いてホースをのばし、エンジンをかけ放水するのを1人でやるつもりだったのだろうか。数時間たった今でも現場に向かって走り去った光景がはっきりと思い出せる。あの赤い小さなトラックは、現場に勇気と責任感を運んでいた。孤高の小さくて赤い消防車だった。