自然体

 これで大人なのだから、今の若者は・・・何て誰にも言う権利はないような気がする。そんな思いを買い物をするたびにさせられる。僕が買い物をするとしたら、スーパーかホームセンターぐらいだから、あくまでその種の業態内での話になるのだが。それらの店は日曜日急を要したときだけ利用する。レジに並んで、前の人の会計を待つ間、客のレジ係に対する態度を観察していると、まるで挨拶がない。挨拶どころか目も合わせない。店員が、テープレコーダーのようにマニュアル通りの対応をするから嫌気がさして、意志を疎通させないのかどうかわからないが、二つのロボットが対峙しているような無機質な関係に見える。どう見ても人間と人間ではない。お互い壁ではないし、段ボール箱でもない。両者とも人間のように見えるのだが、人間のようには振る舞っていない。何を大の大人がいばっっているのか知らないが、レジ係に向かって虚勢を張っている姿は哀れなものだ。中にはとても丁寧で気持ちよい応対が出来る店員もいるのに、その人達に向かっても、残念ながら無視したりがんを飛ばしたりしている。恐らくそれらの客も、家に帰れば妻や夫、子供や孫もいるのだろう。会社では役職に就いているかもしれない、近所では評判の奥様かもしれない。それが何故、買い物に行ったときに挨拶の一つも言えず、ねぎらいの声もかけれないのだろう。人格なんて、全く利害が成立しない時、いや、立場が上に立ったとき初めて本質が現れるものだ。僕は関係性で優位に立ったときのその人の振る舞いこそで人間性を判断することにしている。自分が都合の良いときの行動なんて全く当てにならないし、損得が計算され尽くしている。実るほど頭を垂れる人以外は、尊敬もしないし信用もしない。普通がいい。自然体がいい。