痛快

 親しくしている患者さんのお嬢さんが県立高校を志望していた。実力よりかなり高いところを希望していたが、岡山県特有の自己推薦入学というのも受けてみることにした。自己推薦入学は非常に競争倍率が高く2割くらいの人しか合格しないらしい。本試験の方がはるかに合格しやすいのだ。本試験でも合格が危うい人が自己推薦で合格することはまずあり得ない。自己推薦入学は内申書の他には作文と面接だけだそうだ。母親から相談を受けた僕は、何とか奇跡を起こしてあげたいと思った。家族全員のあらゆるトラブルを、ほとんど漢方薬でお世話しているから僕の教科書の様な(いや、問題集かな)家族なので 。  高校の下見のために母親と一緒に地図を調べていた時、僕はその学校がトンネルを抜けてすぐの所にあることに気がついた。これだと思った。これしかない。作文で試験官に強烈な印象を与える最初の一行を思いついた。どんなテーマを与えられても書き出しは「トンネルを抜けるとそこは○○高校だった」と書くようにお嬢さんに伝言を頼んだ。勿論川端康成の雪国の書き出し「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」のパロディーだ。恐らく試験官はそんなに詳しく何百人の作文を読まないだろうから、強烈な印象を与えるに限る。たった一言にすべてをかけることにした。(実際には「トンネルを抜けるとそこは○○高校でした」と丁寧な表現に変えたらしいが)  発表の日の今朝も、母親と本試験までの勉強について話しあっていた。昼過ぎに母親から合格の電話をもらったときには、勿論嬉しかったが「してやったり」の感の方が強かった。あの一言で合格が決まったかどうか分からないが、いくらひいき目で見てもあり得ないことが起こったのだから、結構貢献したのではないかと思っている。たわいない思いつきだったかもしれないが、痛快な結果だった。今日はよい日だ。一人で小さな祝いをする。