感動

 偶然薬局に買い物に来て知り合った東南アジアの女性が、昨日日本語検定試験の1級に合格した。これで今年知り合った人全員が一応合格した。専門学校、大学、高校、検定試験と様々だが、努力が報われる瞬間を目撃できるのは幸運だ。そんな感動とは久しく離れているので、他人のものでも嬉しい。感動のおこぼれ頂戴だ。  その女性とは薬局で一杯会話をする、問題集の正解を答えてあげるくらいの協力でしかなかったが、「先生のおかげ」とお礼を言ってくれた。僕のおかげは果たしてどのくらいあるだろう。その女性の国までの距離に治すと、さしずめ牛窓町から出る位の短い距離しか僕の力は影響していないと思う。残りの何千キロは彼女自身の努力そのものだ。それ以外には考えられない。時には顔をしかめ苦難の表情で一つの日本語を見つける姿には鬼気迫るものがあった。そこまでしないと外国語を駆使できるようにはならないのかと思った。ちょっとNHKの英会話のテレビ番組を見て諦めてしまう僕とは雲泥の差だ。  田舎の「何でもやります薬局」も最近は体力気力が衰えだしたらしく、以前ほどのめりこむお世話が出来にくくなった。頑張りすぎると腰が悲鳴を上げ、首が反旗を翻し、胃が反撃する。もう少し早く接触してくれていたらと悔やまれるような人も中にはいて、僕の身体に鞭をいれてみるが競馬の馬のようには走れない。  ちょっとした縁で生活の質が一気に上昇することがある。諦めていた人生の展望が一気に開けることもある。特に過敏性腸症候群ではその変化が顕著だ。海中から発射される弾道弾のように空を駆けることがある。海の底ばかり見ていた人が空を飛ぶようになる。  来年度、どんな人と又縁が出来るのか分からないが、希望がかなう為の小さなお手伝いが出来ればと思う。