対等

 いつの時代からこんなに人間に忠実になったのか知らないが、犬が人間に対する態度には驚かされるとともに、常に哀れみも禁じ得ない。オオカミと種は同じらしいが、自然の中で生き抜いているオオカミと人間の庇護の元で生き続けている犬とでは、生き方の上ではまるで正反対だ。  いつも首にひもをくくりつけられ、動ける範囲なんて数メートルもない。一生保証された餌と水は、あれだけ卑屈とも思える態度まで種を変えることが出来るのだろうか。今いる老犬がまだ若いとき、僕が外出から帰ったときや、夜遅く階下に降りていったとき、必ず小屋から出てきて正座した。まるでへりくだっているようで結構つらかった。そこまでしなくて良いのにと何度思ったことか。犬が犬であることがつらかった。  僕は犬を犬のように見ていないのだろうか。元々犬は苦手だから溺愛するタイプではない。今でも犬との接触はほとんどない。だけど僕が偶然近寄るとしっぽをふって喜ぶ。何故かその光景がもの悲しい。そんなにして貰うほどの存在でもないのにとつい思ってしまう。人間同士は勿論、動物とだって、そこそこの対等が良いような気がする。