凡人

 夕食をとりながらアイススケートの番組を見ていたら、突然「テイクファイブ」が流れてきた。クラリネットの力強い音色に合わせて、村主章枝という選手が氷上を滑空した。彼女は線が細い選手と勝手な印象を持っていたが、昨夜はとても力強い演技だったと思う。僕は彼女の滑りと曲に圧倒されながら、箸を止めて見入っていた。いや、聴き入っていたのかも。  彼女が何故「テイクファイブ」を選んだのか分からないが、僕が嘗て初めて聴いた瞬間戦慄が走ったのと同じような体験を彼女もまた持ったのだろうか。ある夜、漢方薬が出来るのを待っていた若い女性が、偶然流れた「テイクファイブ」をきいて、「これはすごいわ」って言ったことがある。彼女は高校生まで吹奏楽部に入っていたらしいから、僕なんかよりははるかに音楽を理解できる人だ。彼女が漏らした感想が生々しかったので、ああ、他の人が聴いてもあんなに感動するのだと、僕の力でも何でもないが、ただ嬉しかった。 想像を絶するミュージシャンの努力とスケーターの努力の複合で僕は数分間の感動を貰った。ホームごたつに足をつっこみ、リラックスして箸を動かしていれば、感動が向こうからやって来る。血のにじむ練習などとは無縁の、グータラな青春を送ってきた人間にも、等しく感動はやってくる。受験勉強をほんの少しくらいしか努力したことがない人間の、成果なんてしれているだろう。田舎で薬局をやっているのが落ちだ。凡人は血のにじむような努力をしないから凡人なのだ。凡人を脱出しようとしないから凡人なのだ。やる前から諦めたり納得したり、ごまかすから凡人なのだ。才能を持ったエリート達は、実は留まらなかっただけなのだ。歩みを止めなかった人達なのだ。凡人は彼らのおこぼれを頂戴して満腹になる。凡人に飢餓はない。