後日談

 電話をしたら、たどたどしい日本語で取り次いでくれた子が、後日談で僕のことを優しい人と言ったらしい。声が優しかったのか、語り口が優しかったのか勿論僕には分からない。今日、その子達のグループの子が二人連れで買い物に来たから、最中を10人分お土産に持って帰って貰った。その時も一人の子が「せんせい、やさしい」と笑顔で言ってくれた。  僕にははあまり似つかわしくない「やさしい」を連発してくれるたびに、なぜか悲しくなる。ちょっとした話し方、余り物のお菓子くらいで、何故あのような賛美を贈らなければならないのだろう。遠く異国の地で重労働に耐え、国で待っている家族のために仕送りをする若い女性が、身を守る為に自然と身に付けた手段のように感じてしまう。言葉が通じないから、笑顔で相手の警戒を解かなければならない。僕にはそんなものは必要にない。それよりも彼女たちが思いっきり大きな声で笑っているところを見てみたい。いつもはにかんだような、押し殺したような笑顔しか見ていないから、大きな笑い声を聞いてみたい。 僕は彼女たちに優しいのではない。敷いて言えば「尊敬」しているのだ。一所懸命、黙々と働いている彼女達を尊敬しているのだ。単純な労働に耐え、倹約に徹し、孤立無援の彼女たちを尊敬しているのだ。国に帰ったとき、彼女たちが過ごした日々や土地を好感を持って思い出してもらえるよう、僕はこれからも対等につきあいたいと思っている。誰も誰よりもえらくはないし、誰も誰よりも劣りはしない。