大衆薬

 昨日、OTC薬(大衆薬・・・薬局で売っている薬)についての講演会が薬剤師会の主催であった。娘は調剤薬局に勤めていたからOTC薬についてコンプレックスがあるらしく、「分からない」が口癖だった。それらに触れていなかったのだから分かるはずがないのだが、牛窓に帰ってきたからにはその知識も要求されるので焦っているのだろう。僕がとりあえずの知識を得るのに10年はかかったと言っても、現に毎日薬局で要求される知識は10年は待ってはくれないからあまり慰めにはならないみたいだ。特に僕の薬局は、OTCでかなりのものまで治そうとする強者がやってくるので、やはりかなりの知識と経験は必要だ。  そんなわけで昨日は期待して岡山に出かけていった。朝の7時半に出かけ帰ってきたのは午後6時頃だった。弁当もどこかで買い、カリキュラムは1日中詰まっていた。どんな感想を持って帰るのかと思っていたら、「お父さんが講演した方が良かったのでは?」だった。僕は毎日現場で働いているので娘はそれを見ている。調剤しながらメモをとったり質問したりする。軽いトラブルから慢性病までOTCでどうしてお世話をするかよく見ている。養生法も実践的な話をしているので聞いているはずだ。  舞台の上で話しても病気は治せない。難しい専門用語もいらないし、肩書きもいらない。僕らは単なる現場の薬剤師。目の前に縁あって現れた方の健康が回復すればいい。診断技術がない僕らは、ジグゾーパズルの様に、細切れの情報から結論を組み立てていく。泥臭い作業だが、心は通じる。数字とか記号ではあらわせれない動物としての人間がそこにはいる。人間が持っている自然治癒力を最大限に利用し回復しようとする不器用な人がいる。そうした人の中にあって仕事が出来るのは、昔ながらの薬局の醍醐味だ。誰の利益を誘導したのか知らないが、規制緩和という名の収奪で、小さな町の薬局をつぶさないで欲しい。人間ドラマは、登場人物が洗練されていてはおもしろくない。うだつが上がらずに不器用に暮らしているのがうようよしている方がおもしろい。