ワールドカップ

 ワールドカップの女子バレーを毎晩テレビで観戦しているが、さすがに僕のバレーの辞め方が悲惨だったから、今更再びしてみたいとは思わない。大学を出て田舎に帰り、あまりにも若者がすることがなかったので、同級生の素人ばっかりを集めてバレーボールチームを作った。僕も初めてだったが、バレーボールなら屋内だから雨の日でも1年中出来ると言う、単純な理由だった。その後僕ら素人集団に触発されて、15チームくらいが数年のうちに出来た。町内のリーグ戦などと、それなりに環境を整えて楽しんだ。そのうちだんだんどのチームも上手になり、県内で活躍する選手や国体選手も数人排出した。大人のスポーツは勝敗もさることながら、滑稽なプレーを魚の笑いの渦が巻き、精神にはとても良いものだ。体は戦いのモードだが、心はとても緩んでいた。1週間に一度だが、涙が出るほど笑える時間を2時間、30年にわたって持つことが出来た。  ところが一昨年あたりから、膝を曲げるのも痛いし、腰と肩は激痛に年に数回襲われるようになったしで、とてもバレーが出来るような状態ではなくなった。1セットしたら腰痛体操をして又コートに戻っていくという悲惨な状態だった。1週バレーを楽しんだら体を治すのに1ヶ月くらいかかるようになって、さすがの僕も唯一の楽しみだったバレーを辞めた。バレーを辞めるとさすがに体をこわすことはなくなった。しかし、今回、身体の代わりに、心の疲労をためてしまったような気がした。自分では気が付かなかったが,体の不調を心が演出していたような気がする。この年齢になってもなお、戦闘モードで日常を送っていたことのつけが来てしまったのだろう。  バレーの視聴率が高いのは、懸命に頑張っている姿を見ることが出来るからだろう。つまらないドラマや劣悪なバラエティー番組などで汚染された精神を浄化できるからだろう。だから自然にスポーツを多くの人が見るようになるのではないかと思う。争うのはルールが決められたスポーツの世界だけでいい。争うのと競うものは似て非なるものだ。良いことでの競い合いこそが求められる。どこの世界でも。