つけ

 最近、急に増えている印象を持っている。この辺りでは、「つけ」と言う。共通語が何か知らない。「かけ」と言うのかな。財布を忘れる人や、常連でお金を持ってこない人は結構いるのだが、そんな話ではない。僕が気になるのは、介護用品など絶対必要なものでかけをする人が増えていることだ。例えば栄養剤など飲まなくてもいいようなものならいいが、どうしても必要なものを取りに来て、今度年金が入るまで待って、或いは何かあてがあるのか何時何時まで待ってと言うたぐいだ。牛窓は田舎だから、顔見知りばっかりだ。物が物だから断わるわけにもいかないし、かといって無尽蔵に貸すわけにもいかない。決局は貸してあげるのだが後味は悪い。しかし、貸してくださいと言う人達に悪意などまったくない。何かの落ち度があってそうなった人もいない。一生懸命、ただひたすらに生きてきた人達だ。不運にも、財をなすことが出来ずに、経済的な余裕と無縁だっただけなのだ。タレント気取りの前の総理から極端に庶民の暮らし振りが悪くなった。牛窓など田舎町だからほとんどの人が庶民なのだ。先端技術を駆使してお金儲けをするほど才にたけた人などいない。都会の摩天楼で暮らすやつらの為に、田を耕し、漁をしているだけなのだ。少し多くとれたから、ビールのおかずを一品増やすだけなのだ。お金は流した汗の対価でもらうもので、情報で稼ぐものではないのだ。流す汗には限りがあるから、収入にも限りがあるのだ。夫婦子供で使いきれる限りがあるのだ。 紙オムツが買えなくなったら介護はどうするのだろう。尿を垂れ流しにし、股はかぶれ、臭いは部屋中に充満する。一生懸命、人様を傷つけず、裏切らずに生きてきたあげくがこのざまだ。政治は六本木ヒルズの為には多いに機能するが、税金を納めることが出来ない人達には機能しない。政治をうまく動かして金儲けをする極一部の人間と、政治には無関心で最後の血の一滴まで吸い取られるほとんどの無知な人達にいつの世も分けられる。政治が一番届かなければならないところからどんどん遠ざかっている。死ねないから生きている人達に政治が青酸カリを配っている。