美学

持っていたノートには、難しい漢字が書かれ、その後に説明が書いてあった。日本人でも余り国語が苦手な人だったら読めないのではないかと言うような漢字が並んでいた。思わず僕は驚きの声をあげた。そして何度かその声を繰り返した。それはそうだろう、来日してわずか3年の若者が、日本人でも分かりそうでない漢字をマスターしている、ないしはしようと懸命に努力しているのだから。僕は無条件に賛美の言葉を贈った。  彼女は12月に日本語検定試験を受けるらしくてその為に猛勉強をしているみたいだ。研修と言う名の労働で後進国からやってきた。流暢な日本語で教えてくれたのだが、彼女らの自由はかなり制限されている。マスコミで報道されるように、女工哀史そのもののようなことも現実にあるみたいだ。まず自由に町から出れない。牛窓のような田舎町で出るなと言われたら、若者ならすることはない。仕事の時間以外は何をしているのと尋ねたら、彼女は折角青春を捨ててきているのだから、猛勉強すると言っていた。具体的なことは聞かなかったが、夢があるから頑張れると言った。自分の国は貧しいですが、勉強すればなんとかなり、また、勉強しないと豊な国になれないとも言った。一人の出稼ぎの若い女性が、自分の国が豊になることを祈っている。そしてその為に本当によく勉強している。新聞のコピーも何枚か持っていて、黄色のマジックで線がひいてあった。そしてその隣にルビがふられていた。日本人の友人に尋ねて解決したらしい。  夢があるから辛くありませんよと、とても素敵な笑顔で答える彼女に、僕は思わずごめんねと言ってしまった。研修と言う名のピンはねが横行しているのを見聞きして、彼女もまたその中で懸命に生きているのかと思うと涙がこぼれそうになった。この国の人はいつのまにか、強きに弱く、弱きに強くなってしまったのだ。美学は色あせて縁の下で鼠の餌になっている。