運動会

中学校の運動会で、僕はクラスの男に、リレーで歩くように指示した。クラス委員をしていたし何故か不良に人気があったから、結構僕の言うことをきくクラスメートは多かった。案の定、不良を中心にピストルの合図と共に僕のクラスだけ走らずに歩き始めた。僕は先天的に脚力に恵まれた生徒たちの独壇場になっている運動会というものが嫌いだった。走ることはかなりの部分が遺伝子に左右されて努力が入りこむ余地が少ない。毎年毎年繰り返される主役と端役の関係にうんざりしていた。運動会が終了して教室に帰ってから案の定担任の教師に叱られた。ところが僕が画策したことを知っているはずなのに担任の教師は僕を怒らなかった。それは脚力のハンディーよりももっと僕を失望させた。それは不良達より僕が偶然備わっているものが多かっただけの理由からだ。それも社会にとって、いや、大人達にとって都合がよいものだったのだろう。人間として本当に必要なものを僕が彼らに勝って持っていたなど全く考えていない。僕が牛窓にいた中学時代までずっと毎日遊んでいたのは、成績が最後尾に近い生徒か不良ばかりだった。本当にいづらいだろう学校に毎日誘い合って通っていた彼らは、よく教室で我慢していたなといまさら思う。おそらく授業の内容もわからず、なにを考えて時間が経つのを待っていたのだろうと同情する。その後をどう生きたのかほとんど知らない。風の便りも届かない。極端に成功した人もいないようだけれど、極端に人生を棒に振った人もいないようだ。それでいいと思う。  僕は当時から善人ではない。ただ、多くが備わった人と、多くを与えられなかった人がいるのを見るのはいやだった。理屈や理論で得た価値観ではない。理由もなく嫌だった。あれから数十年、見聞きするのは当 時の差別をもっと増幅したものばかりだ。巷には乾燥した心が溢れている。得ることでしか満たされない乾燥しきった心で溢れている。