笑顔

 ベトナムから研修と言う名で働きに来ている若い女性達が時々薬局にやって来る。ずっと以前から自転車で数人連なって走っているのを見かけていたが、ふとした買い物で寄ってから時々訪ねてくるようになった。その中に一人だけ日本語が出来る女性がいる。後の人達は1年契約だから日本語を覚える前に帰っていくのだろう。詳しいことは分からないが、その女性が通訳を兼ねているのかもしれない。  何回か来ているのに名前を聞いていなかったので先日初めて尋ねた。プライバシーだから言えないが、○ッ○と教えてくれて「美しい名前でしょう」と笑顔で言った。当然「そうです」と言う返事を期待しているような顔だったが、僕は絶句してしまった。おあいそで「美しい名前ですね」くらい言えればいいのだが、僕は心にもないことを言うのはかなりの苦手なのだ。嫌な沈黙が少しの時間あった。ベトナムでは美しいなにかを象徴しているのかもしれないが、日本語では単なる濁った音だった。音をよく聞き取りにくかったので何回か真似て聞き返すと、彼女はカタカナで自分の名前を書いた。字が書けるのと驚くと、漢字も書けますと言った.  これには驚いたが、更に驚いたことには、日本語の検定試験の勉強をしていると言う。ベトナムは教育水準が高いとテレビ番組で紹介されていたのを覚えている。少し口を歪めながら懸命に喋る彼女を見ていたらなんとなくそのことにうなづける。かなりの日本語を理解出来るが、日本語は難しいと言う。勉強してわからなければ教えてもらえますかと尋ねられたので、いつでも教えてあげると答えると、とても喜んでいた。フィリピンの若者もそうだが、笑顔がとてもよい。見知らぬ外国で生きていくにはあの笑顔は必要だ。敵意は持っていませんよと表明するにはうってつけだ。僕が彼女達の年令の時は決してもっていなかった笑顔だ。心の中がきれいでないとあの笑顔は出せれない。僕は薬局に来る方に時々「幸せですか」と尋ねる。しかし、彼女達にはその質問は必要にないように思われる。おそらく、多くを持ってはいないが、多くを失ってもいないから。