飛行機雲

今日、僕は三つの大きな川を渡った。どの川も北から南に流れていた。河口付近の風景はどれもとても似ていた。穏やかな流れが古い堰を壊し、繋留されたプレジャーボートの傍を水上バイクが爆音を上げて走っていた。川原では、鎖をとかれた犬たちが、つかの間の自由を楽しんでいた。飛行機雲が消えないうちに僕は会場に着かなければと思った。  外国人と共生を目指す会と言うのがあって、何故かその会合に出なければならなくなった。会場に着くと、20人くらいの代表が集まっていたが、三分の一が外国の人達だった。外国と言ってもフィリピンの人とブラジルの人だった。敢えて共生などと言う言葉を使うときには決まって白人以外だ。日本人は黄色の顔をしているくせに、いやそれだからこそか、白人にはめっぽう寛容だ。ところが安い労働を提供してくれる国々の人には冷淡だ。白人コンプレックスだろう。  最初に、会議の司会を決めなければならなかったらしく、如何にもそれらしい各代表に承諾を得ようとしていたが、全員に断わられた。自己紹介の時に、英語とポルトガル語ができますなんて言う人もいて、白羽の矢は簡単に立ってしまう。ところがそのような経歴のある人だって司会を断わる。仕方なくと言う雰囲気の中、最後に残った僕に指名?があったので、僕は即答で承諾した。断わらない、これが僕の主義なのだ。僕に頼む時は余程困った時なのだ。出来るなら僕に頼みたくないのだ。とっつきにくい僕の風貌が役に立って、僕は結構いつもフリーでおれる。なんたって、「車を買うぞー」と車屋さんに入っていっても、どのセールスも近づいてきてくれないのだから。最初に声をかけてくれた人から買ってあげようなどと気を使って待っているのに。  2時間の会議だったが、僕はギャグの連発をした。真面目そうな人達ばっかりだったから、結構受けて、皆さん多いに笑って帰った。格式ばったものは僕は大の苦手だから、冗談の中に時々真実を潜らせる。「人生はだらだらと続いている冗談なのさ」僕の知り合いの伊藤隆夫の唄の中の1節だ。学生時代とても救われた唄だった。  僕も、あなた方も、日々何と戦っているのだろうね。こんなに緊張して、なにと戦い、何を得ようとして、何を守ろうとしているのだろうね。飛行機雲のように、いずれ消えてなくなるのに。