刺身

休日診療が終わり、片付け家がすんだのは丁度8時だった。看護師さんや事務員が帰ってから先輩夫婦が戸締りをして、僕ら3人は先輩の車に乗り、岐阜駅の裏にあるマンションに帰っていった。僕が学生の頃は歓楽街でとても怖くて足を踏みいれられないような所だったが、今は再開発されて当時の面影はない。ついでの話しだが、岐阜駅もまたとてもモダンに生まれ変わっていた。  さて、夕食をと言うことになったのだが、僕はラーメンでいいと言った。別に食べたいものもないし、食べに来た訳でもない。先輩に会いに来ただけなのだから。岐阜駅あたりの路地を入ったところの居酒屋に連れていかれた。  1200円の刺身一皿を3人で食べ、奥さんは何かどんぶりものを注文していた。結局食べたものは刺身数切れだけだった。そう、枝豆があったか。僕はジョッキ2杯のみ、先輩は4杯くらい飲んだのではないかと思った。当時の記憶からすると僕のほうが強かったような気がするのだが、僕なんかよりはかなりのハイピッチで飲んでいった。4杯ではきいていないかもしれない。僕が、アル中ではないのと言うと、アル中だと言っていた。趣味はないから酒ばかり飲んでいると言っていた。診察室にあった、本を見て、よく勉強しているねと言うと、まったくしていないと答えた。来るのは子供の熱(風邪)と、年寄りの高血圧がほとんどで、面白くないと言っていた。熱は必要だから出ているので悪いものではないのにと、心配し過ぎの親を嘆いていた。意に反して熱を下げるような薬を出さざるを得ないジレンマなのだろう。  僕らは学生の頃本当にお金をもっていなかった。仕送りもなかったからアルバイトをして食いつないでいた。もう一人の先輩が、当時はやった針金細工で結構稼いでいたので食わしてもらったりしていた。先輩もその先輩に結構世話になっていた。この先輩は学生時代ちり紙交換のバイトをしていた。僕らの青春時代の原点はその程度なのだ。だから、この歳になっても余り物にこだわらない。ちょっとしたことが今だ贅沢に感じてしまう。医者だから、高級料亭に僕を連れて行ってもいいのだが、僕も喜ばないし、彼もくすぐったいだろう。灰皿に捨てられた煙草を吸い、どんぶりで作った紅茶を飲み、インスタントラーメンに幸せを感じていたあの頃にその夜は戻った。胃袋も精神も空腹で、いろいろなものを吸収出来る余白を一杯持っていた。この欠乏感こそが青春だったのかもしれない。今の僕はつまらないものを一杯詰め込んで肉体も精神もグロテスクなだけだ。その夜決別した青春時代の後ろ姿が暗闇の中に又消えていった。