欺瞞

 その心の傷に触ってしまい良かったのかと今でも考えている。 病院で処方された安定剤をもう何年も取りに来ている人がいる。病院の患者さんだから僕は基本的には立ち入らないことにしている。副作用もなく飲んでくれればそれでいいのだ。いつも無口な人だが、今日は僕が腰掛けている前に座ったので話しかけてみた。すると向こうから色々と話しをしてくれて、安定剤を飲み始めた理由を教えてくれた。もう20年近く前に、不慮の事故でお子さんを亡くしたらしいのだ。事故が起こった場所や状況まで教えてくれた。  少なくとも笑顔は見せなかったが、決して悲しげな顔にはならなかった。そのことに僕は救われた。僕が話しかけなければ、おそらく人生で一番辛い経験を思い出さずにすんだろうに。「人生、色々なことがあるね」とかけた言葉の如何に軽いことか。自分でも嫌になる。親が子に先だたれる以上の不幸を僕は知らないのに、それを言葉で表わそうなどとした。筆舌で言い表せれないことは言い表してはいけないのだ。言葉に出した瞬間から僕の心情さえ偽物になる。  「辛いことを思い出させてごめんね」僕は何回もその言葉をいいたかった。口元まで何回も出た。でも僕は言わなかった。柄にもなく僕はその時薬剤師たるべく職業的な態度をを取ったのだ。全く柄でもない。うんざりするほどの欺瞞。