爪の垢

 ある政治家が、マザーテレサに「貴女は素晴らしい仕事をされていますが、世界中で達成されているようには思えません」と質問した。すると彼女は「達成することが目的ではなく、日々神様の思し召しを実行しているだけ」と答えたそうだ。  偉大な人と、僕ら凡人を比べるのはおこがましいが、僕ら能力のない凡人こそが何かを達成し、そのあげく何かを手に入れようとして、無理をしたり悪意を働かせたりしている。単純に言えば、富みや名誉を手に入れようとしているのだ。果たして、富みも名誉も人生の目標だろうか。人生を完成させるには必要なものなのだろうか。富みも名誉も元々上限はない。どこで達成感を得るのか分からないが、おそらく他人との比較だろう。人よりより多く持ち、人から賞賛されることに最高の価値を置いているのだろう。  神様の思し召し(愛)を実践する為に、彼女は所有しなかった。質素な修道服以外に果たして何を持っていたのだろう。富みも名誉も一切所有しなかった。聖人の名が与えられることにになったのも彼女の死後のことだ。決して彼女が欲したことではない。  何も持たないことが、全てを持つことにつながっている。今夜開票され、議場に送り出される全国の議員達に、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。