ドクターショッピング

 午後から薬剤師も妻もいなくなるのが分かっていたから、今日は無理やり昼食を早くとらされた。食事をしながらテレビをつけていると偶然、反復性腹痛(過敏性腸症)について、やっていた。大学の教授が説明をしていた。学校に行けない子供を前にして狼狽した親が、ドクターショッピングをくりかえすらしい。親にとって都合のよい答えがないものだから、親が都合のよい答えを求めて病院をはしごするらしい。内視鏡でもして、どこどこが悪いですと言ってもらえれば安心するらしいが、病巣が確定出来ることはほとんどない。ないものを求めて親はあちこちの病院の門をたたく。  ここ数日、ガス漏れは本当にないのですかという質問が続いている。この質問も僕はドクターショッピングと同質のものを感じる。「あります」と答えれば一番好感を持って受け入れられるのではないかと容易に想像がつく。しかし、僕はないと答える。ガス漏れを証明出来たことがないからだ。ガス漏れを訴えている人はわんさといるが、実際に、傍にいたり、車に乗ったり、時には実際に臭ったりしても、一度もガス漏れと遭遇したことはない。僕は芸人ではないから受ける必要はない。縁あってお世話する人が苦しみから脱出してくれればいい。だから客観的な事象だけを信じることにしている。オーラの何とかとか、顔が震える自称占い師の世界ではない。1日中漏れますと言っていた人でも、治ったら、どうして長い間あんなことを信じていたのでしょうねと言う。分かってくれないと僕を責めた人でも、謝ってくれる。  ガス漏れを確信している人は、自分以外のガス漏れの人に会ったことがあるのだろうか。こんなにたくさん苦しんでいる人がいるのに、何故遭遇しないのだろうと考えたことはないのだろうか。自分のことは主観の塊で眺めてしまう。他人なら冷静に見ることが出来る。主観をひとまず置いといて、客観的な事実のみを信じる癖をつけたらどうだろう。人が鼻をすすろうが、咳をしようが、何故そのような行動をとったか確かめた時だけ、評価の対象にすべきだ。私のせいで・・・などにはなにの重みもない。人に言うべき出来事でもない。  僕がお世話して過敏性腸症候群が治った100人くらいの人の中で、ガスが漏れていると長年苦しんだ人は9割くらいいると思う。お世話した経験から、心と内臓の過緊張が取れた時に初めてガス漏れは治ると思う。心だけでもだめで、身体だけでもだめだと思う。なんとなく身体も心も楽になった、そのようにして回復に向かっていく。そうなると長年信じていたことも、ふとおかしいな、有り得ないだろうなと気がつくみたいだ。  このような僕の治療は、完治した人数と同じくらいの治らなかった人達の犠牲の元で生まれてきたものだ。その人達がドクターショッピングを繰り返していないことを望む。