当たり前

親は子を選べないし、子も親を選べないから、親子関係なんか博打みたいなものだ。育ってみなければ丁と出るか半と出るか分からない。世間の話題に上るのは突出して成功した人達か、突出して悪の道を走った人達なので、極普通の人達が見えにくい。圧倒的多数なのにその輪郭はつかみにくい。  当たり前に大きくなり、当たり前に学校に行き、当たり前に仕事につく、当たり前に友情が芽生え、当たり前に恋をする。当たり前は当たり前にここそこに溢れ、当たり前の世の中を作っている。しかし、今この当たり前がとても難しくなっている。そもそも当たり前に意味がなくなったのか、当たり前が手に届かぬくらいハードルが高くなったのか知らないが、当たり前を容易に放棄したり、当たり前から容易に脱落したりする。  子は当たり前に育っているのに、親はそれを当たり前とは見ずに、わが身のことを忘れて高望みする。子は親の能力を知っているから、所詮あの程度だろうと自身に対する見極めが早い。親は子を守らずに、子も親を守らない。知性も理性も、動物的本能さえも忘れた圧倒的多数がお互いの首のしめ合いをしている。