一人

 僕は、携帯電話を持ってはいないし、使うすべも知らない。時々急を要したとき近くにいる人のを使うことはあるが、その都度使い方を教えてもらう。教えてもらうと言うより、代わりにダイヤルしてもらうことのほうが多い。まるで、小学生か老人だ・・・と思っていたら、今は小学生も老人も使うから、いったい僕は何物だということになる。  僕は便利と言う名の不自由を避けているのだ。いつどこにいても呼び出されることには耐えられない。毎日12時間、僕はからだの悩みを抱えている人と接触している。こんな僕でも頼って下さる人がいて、光栄に思っている。元々強靭には生まれついていないのに、苦しみを共有出来るようにそれなりに勉強してきたから、もう少しお役に立つ為には、どうしても精神のオンとオフが必要なのだ。戦いのモードで懸命に仕事に打ち込む時間と、全く頭を使わない時間の切り替えが必要なのだ。なにも考えずに、誰も知らない街で訳もなく歩き続ける。人波にもまれているとき僕は一番深く自分の中に入っていける。その時、空っぽになった頭に感性の種が落ちる。僕はそんな瞬間が好きだ。そんな時、誰かと電波でつながったりしたら興ざめだ。一人にして、一人にして、一人にして。  以前から不思議に思うのだが、漢方の勉強会に集まる人間で携帯電話を持っている人は少ない。元々古典の医学だから学ぶ人間もアナログ系が多いのかも知れないが、携帯の持ってる不自然さに自ずと距離を置こうとしているのかもしれない。化学薬品から身を守ろうとするように、科学の粋から身を守ろうとしているのかもしれない。時代の最後尾をやっとついていっているような気もしないではないが、いずれ最後尾と最先端がくっついて最先端を走っているかもしれない。もしそんな時代が来たら、想像を絶する不幸がもたらされることになる。だから僕はずっと最後尾でいいのだ。