死界

 いくつもの駅の構内を歩き、いくつもの地下道を横切り、いくつものビルの下を歩いた。いつも視界は遮られ、手を伸ばせば物に簡単に触ることが出来る。電車が高架橋を走る時、視界は広がるように思うが、やはり目にするのは、ビルの横腹だ。無機質に並んで人の気配を感じさせない無彩色の墓石だ。それを覆う空は空ではなく、単なる濁った空気でしかない。だからやはり視界は広がらないのだ。  都会で暮らしたことがないわけではない。都会を目指したのではないが、若ければどこででも住めた。近視眼で生きていたから、遠くをみる必要はなかった。有り余るその日の時間をいかに食いつぶすかだけ考えていればよかった。他人は興味の対象ではなく、自分だけが可愛かった。夢がはなかったぶん、絶望もなかった。居場所を変える事は簡単だったが、時の向こうを見ることは出来なかった。視界はいつもふさがっていた。  朝、まだ暗い時間に家を出た。駅に行くまでに朝日の先遣隊が、田園地帯のベールを剥ぐ。どこまでも視界は広がる。目を凝らせば、歳月がずっと向こうの山際まで実っている。視界は日常の中で遮られることもなく時までも超えようとする。視界は遮られるものではなく、広がるものなのだ。昨日僕は視界のない街で、冷や汗を流し懸命に嘔吐をこらえていた。家に辿り着くことだけを考えていた。人工の洪水の中で僕の前には死界だけが広がっていた。