農夫

今日、T薬剤師は早引きして、大学の教授の退官パーティーに行った。8歳の年令差か、資質の違いか分からないが、僕にとっては理解できない行動だ。いや、僕ら世代と言ったほうがよいかもしれない。僕にとっての大学は、自分が書いた教科書を棒読みする教授が退屈そうに講義して、チャイムの音にお互いが救われるような、実にのっぺらぼうな空間だった。教室には人間はいなかった。二酸化炭素を排出する有機物が階段状に並んでいただけだった。  教授と1体1ですれ違っても頭も下げなかった。劣等生の悪名高かったから、向こうの方がいやがっていた。4年生で研究室に所属しても、会話はなかった。僕に輪をかけたような劣等生が集まる研究室だったから、知性の欠片もなかった。何故卒業できたのか今でも分からないが、卒論は3人で書いた。書いたと言っても僕の相棒は、二人とも4浪で入学し、1年留年している兵だから、1浪で1年留年の僕が一人でやらされた。中学生でもかけそうな論文で卒業した。  元々判官びいきだった僕は、大学時代に極端に権威が嫌いになった。逆にそんなものを人生で追い求める必要がないことも知った。その後の人生がいかに楽だったか。人より勝って、おごることもなく、人より劣って嘆くこともなく、自然に生きて来れた。悲しい時には泣き、うれしい時には微笑んだ。面白ければ大声で笑ったし、怒り心頭の時は頭からら湯気を上らせた。春にはわけもわからずうきうきしたし、夏には酸っぱい汗でTシャツを濡らしたし、秋にはセンチメンタルに夕焼けを追ったし、冬にはホームこたつの中で木枯らしが過ぎるのを待っていた。  外では冷たい雨が降っている。カッパを濡らして農夫が入ってくる。あかぎれた手に血がにじんでいる。この手がなければ、いくら肩書にもたれ、ふんぞり返っても明日から生きてはいけない。大地を耕し、人の世を耕している人達にこそ僕は頭を下げる。