居眠り

 電話を取り次いでもらっても名前は全く思い出せなかった。カルテを開きながら確認すると数年前一度だけ糖尿病の為に、ある漢方薬をお世話していた。開口一番「腎不全にいいものある」だった。当時2週間分お渡ししていた薬の結果も書いていないから、すぐ音信不通になったのだろう。別に珍しいことではない。病院だって、薬局だってしばしばあることだ。話しながら少しずつ記憶が戻ってきた。当時、ある方の紹介で薬を取りに来たのだけれど、散々今まで受けていた病院と、健康食品の悪口を言っていた。いかにお金を費やしたかに話題は集中していた記憶がある。そしてそれが払える経済的な余裕も話しの端々に覗いていた。今回の電話でもすぐに、50万円もする水をあれから飲んでいたと言う話しになった。何故水が50万円もするのか僕には分からないが、糖尿病が治ると言われたらしい。当時かなり糖尿病が進行していたので、透析にでもなったら大変だから真面目に治療したらと言ったはずだ。節制は本人にとっては面白くないだろう。その時耳元で、水を飲むだけで糖尿病が治るとささやかれたら、そちらに心がなびくのも分からないことはない。まして訓練されたささやきには太刀打ちできないだろう。  僕の前で、経済的な余裕をひけらかす人が時々いる。僕はそんなものに心を動かされないから退屈な話題だ。もっと性質の悪いのは、人脈をひけらかす人。世間体のよい肩書の人達を列挙する。僕はこれにも全く興味がないから退屈極まりない話題だ。若いときは嫌悪感をあらわにしていたが、さすがに今はそこまでしない。お金があったらどうなのだ、立派な?人に知り合いがいたらどうなのだ。なにも関係ない。もし自分に自信があるのならなにも喋らない。自信がなくてうろたえているから、中身以外のもので武装しようとする。哀れなものだ。  多くを稼ぐ人、多くを得る人は才能に恵まれている。とても素晴らしいことだ。しかし本当にその人を評価出来るのは、いかに多く分かち合ったかと言う一点だ。その評価に値するところがないから、心は全く動かされなくて、聞いている耳は居眠りをしている。  「病院だけを信頼して、是非真面目に治療を受けて」と返事をした。腎臓は復活しない臓器なのだから。嘘も言えないし、希望も与えられない。僕は単なる田舎の薬剤師なのだから。