常識

 NHKのラジオニュースで、東京の漢方薬局(薬剤師がいないのだから薬局ではないか)が摘発されたそうだ。なんでも薬剤師がいないのに、医者から白紙の処方箋をもらい、勝手に薬をつくってお客に売っていたらしい。巣鴨というところでお年寄りに人気があり、カリスマ的だったらしい。  僕は何回も繰り返し折に触れ訴えているが、治療なんて地味な作業だ。まして薬局に出来る対象はたかが知れている。それなのに分不相応な訴求をして、難病奇病を治しますだなんて、口が裂けてもいえるものではない。ところが口も裂けずに言える人がこの業界の中にも外にもいる。どの業界でも同じなのだろうが、神懸り的な人は出てくるものだ。悲しいことに神懸り的なのは他者からの評価ではなく、自分でそう演じるのだから性質が悪い。それでは新興宗教と何ら変わりない。  どのくらい薬を飲んだら効きますかとしばしば尋ねられる。僕には答える能力はない。2週間分しか作らないのは、そのくらいで何か変化を起こしたいという希望だし、そのくらいで変化を起こせないなら処方を変えるべきだと思っているからだ。あるカリスマ薬剤師が驚くような高額な薬を売るが、2年くらい飲んでくれれば必ず治しますと言うらしい。決り文句なのだ。効かなければどう責任を取るのかというくらい高額なのだが、難病の人は病院に行ってどうでもだめだから、最後の最後に薬局に来る。だから2年も生きないのだそうだ。よく考えているものだ。薬剤師にしておくにはもったいない。  僕の幸運は、田舎に帰ってきたことだ。ブルジョアなんて滅多にいない町だから、常識がまだまだ十分通用する。まっとうな仕事が要求され、それで暮らしていける町なのだ。商売人にならずとも職人で生きていける町なのだ。