唐突

 僕がお世話させて頂いている漢方研究会のあるメンバーの方が、新年会の時涙を流して挨拶された。唐突な涙だったので驚いたが、60年間やってきた薬局をたたむと言う内容を僕らに伝えようとした瞬間だった。女性薬剤師で、僕の母と年令が近いのではないかと思う。岡山市の繁華街で漢方薬を中心に頑張ってこられた方で、僕なんかより遥かに経験がある。僕がその研究会にはいらせていただいた頃にはおそらくもう漢方薬では名声を得ていた人だと思う。立地にも恵まれ、実力を十分発揮されたのではないかと思う。  第三者的に聞いていると60年はかなり長いように思うが、恐らくご本人にとってはあっという間の出来事だったに違いない。瞬きを数回する間に思い出せれるくらいの時間ではないか。その半分しかまだやってりない僕なら瞬時に30年を振りかえられるのだから。  その方の薬局には後継ぎがいない。今は、医院の前に薬局を建てれば簡単に食える時代だから、少しずつ顧客を集めるような地味な仕事になかなか後継者は出来ない。多くの顧客の不便を考えれば後ろ髪をひかれるのだろうが、いつか必ずその瞬間は来る。潔く線をひかなければならない日が必ず来る。僕らの存在は、社会に対して、九十九里の浜辺で小さな砂の一つを1cm動かすほどの影響もない。しかし、僕らの心は九十九里の浜辺すべてを見渡している。  観念の中で時計の針は進み、観念の中で精神は清められ、観念の中で宇宙は広がる。足跡は押し寄せる波で消されるが、心の中は何にも消されない。