愛する人達へ

 丁度1年間、僕はクリスチャンになるために教会に通い勉強を続けてきました。晴れてクリスチャンになるための儀式が24日のクリスマスの日にありました。教会では毎回、人の前で聖書の一部を朗読します。24日は、洗礼を受けてクリスチャンになったばかりの僕にその役割が突然言い渡されました。僕は基本的には頼まれたことは断わりません。だから聖書朗読もすぐ快諾しました。夜の7時のミサに読むことになります。7時間前のことです。快諾した後に、僕はふと、そう言えば、人前で本を読むことは苦手なのだと思い出しました。40年近く前、教室で本を読んでいる途中で声が震え、時間が止まったかのような屈辱を経験してからのいわば久々の朗読です。その間大学で少し英語を読んだ事があるような記憶はあるけれど、本格的に読むのは何10年ぶりです。式が始まるまでの7時間のうちに、意識してしまい、緊張感に襲われることが何度かありました。しかし嘗てのように、逃げ出そうとは思いませんでした。うまく読めるかどうかは分かりませんが、僕より数段飛びぬけて知性がこぼれるような人もいないし、どう見ても誰も同じ人間にしか見えません。僕がうまく読もうが読むまいが、5分もそんな事、頭の中に残りはしないでしょう。それとせっかく洗礼を受けたのに、うまく読めるか読めないかなどと問題を本末転倒して、どうでもいいことに意識を集中させるのは、敬虔な他のクリスチャンの方々に失礼だと思いまいた。大切なことは聖書に書かれている言葉の意味です。僕がうまく読めるかどうかなんてなんの意味も持ちません。また、これは僕特有の理由ですが、あれだけ予期不安の方を治しているのに、自分がそれでは仕方ないと強く思いました。だから僕は自分がどうなるか見極めなければならないと思ったのです。朗読の前後の僕自身をすべて受け入れ、客観的に記憶しておこうと思いました。それが、貴方や他の方の役に立てれると思いましたから。  席の1番前に腰掛け、朗読の順番を待ちました。隣には、僕と同じように洗礼を受け早速朗読も指名された同年輩の女性も座っていました。そわそわと落ちつかなくて、式も上の空のようでした。僕に小声でいろんなことを質問してきました。僕は彼女の緊張をとるように冗談を言ったりしました。勿論僕もそれなりに緊張しているのです。彼女にはない過去のトラウマが僕にはあります。内心とは裏腹な行動をとっているのです。しかし、僕は彼女を落ちつかせたかったのです。僕がうまく読んでしまうと後の人が大変だろうななどと、ありもしない状況を考えたりもしていました。なんてうぬぼれが強いのでしょうね。また、皆さんに教えていた呼吸法を実際にやってみようと思ったけれど、さすがにそこまでして朗読する必要も感じなかったのでそれは試しませんでした。促されて壇上に上がり読み始めました。まずまずの出だしだったと思います。うまくもないけれど、漢字に詰まることもありませんでした。緊張はしていますが、数分無事に読み終えました。何10年ぶりの本読みです。人前で本が読めなくなって、僕が失ったものは何でしょう。その為に志望校に落ちたのでもなく、その為に友人をなくしたのでもなく、その為に転落した人生を歩んだのでもありません。実は失ったものなど何もないのです。今思えば、その為に多くのものを得ました。浪人して下から世の中を見るきっかけを得ました。輝くと言うことは、飾ることではないとも知りました。勇ましい言葉や、きれいな言葉の裏側を読むことが出来るようになりました。胡散臭いお金や肩書を信じないようになりました。実はその頃僕は、今の僕が僕である立脚点を探し当てていたのです。失ったからこそ得たのです。歯止めを失った自尊心、ナルシシズムは、ある時期僕を苦しめましたが、苦しんだお蔭で自分の存在理由と言うもっと崇高なものをつかんだのです。貴方の今の心境は、青春時代の僕の心境と完全に一致します。いや、現在の僕とも、また隣に座っていた女性とも一致します。こうして生きてくるとみな一緒と言う真理を数多く目撃するのです。貴方の予期不安は、誰もが共通に持っているものです。  僕は本読みが出来なかったことを克服する為に、10年間くらい人前で歌いました。何百人いてもギター1本で2時間くらい歌えます。又漢方の講演だったら原稿無しで、2時間くらいなら今すぐにでも出来ます。それでも本読みは緊張しました。僕は今回のことで以前から気づいていたことに自信を持ちました。それは、予期不安を克服する最高の方法は、圧倒的な自信を持って現場に臨むということです。僕は歌は、当時1日数時間は毎日歌っていました。僕の詩で僕のメロディーです。どこにも存在しない歌です。僕は社会に訴えたいことを持っていました。うまくなくても訴えたいことの内容には自信を持っていました。漢方薬についても、20年、毎日何人もの方の相談にのっています。学者ではなく現場にいつづける強みがあります。もし努力の結果、自分で評価出来る自分がいたら予期不安はなんなく克服できます。もし不安を持って臨むならそれは努力不足です。では、僕の朗読のようにトラウマになっている分野の予期不安の克服方法はどうでしょう。それは一にも二にも、現場に多く接することです。現場でしか治せないことを胆に銘じ、漢方薬を最初は飲みながらでもいいから、現場に出て、少しずつ暴露の時間とレベルを上げていくことです。僕はこれからも進んで朗読をします。これさえ少しの緊張もなく出来るようになれば、もう過去のトラウマとお別れ出来るのですから。ただ、僕はトラウマの出来事の以前は、目立ちたがりやのつまらない少年でした。トラウマは克服しても、あの頃の人格には決して戻りたくありません。教室をそっと抜け出していたような蔭がある人間でいつづけたいと思っています。誰も僕が太陽のように輝いて欲しいとは思っていませんから。僕は、夜道を微かに照らす月明かりのような存在でいいのです。