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 処方箋を持ってきた患者さんに、薬を作り、安全使用の為に何らかのアドバイスをすることを薬局は期待されている。期待されているように働こうと思っているが、なかなかそうはいかないこともある。夕方、漢方薬が載っている処方箋を持ってはいって来た患者さんに、胃腸の風邪でも引いているのと尋ねたら、先生も分からないらしいと答えた。そう、先生も断定できないから、散弾銃みたいな処方を出してくれたんだろうねと、とってつけたような説明をした。一見何でも効きそうな処方が漢方薬にはある。でもそれは吟味すれば、そんな散弾銃みたいにどれかが当るような処方構成ではない。先人が叡智を絞った処方には深い意味と数知れぬ人体実験の結晶がある。  漢方薬には病名がない。症状を追っかけながら処方を決めていく。特に僕は、頻繁に症状に合わせて処方を変えていく。しかし、なかなかその処方変更のチャンスをくれない人がいる。ぼくは、最初相談を受けた時、処方を決めてその後のストーリーも考える。一発目の処方で100点が取れればいいが、そんな神業は出来ない。2発目、3発目の処方も考えておく。医療に対して過度の期待があるのか、それともなにでも病院にいったり薬を飲めば治るという神話があるのか、あまりにも結論を急ぎすぎる。  僕が薬局に帰ってきた頃、先輩諸氏は「来た道は帰れ」などともっともなことを教えてくれた。慢性病の場合、10年かかって出来た病気は、10年かけないと治らないというものだ。当時でも僕はピンと来なかった。自分が若かったせいもあるが、そんなに待てないだろうと思った。ただ、現代人はそれからまだ進化して、10年かかって出来た慢性病も2週間で治さなければ満足しない。クリックひとつで状況が瞬く間に変わる装置に慣れている人たちは、いつのまにか心の中にも同じような装置を抱えていて、希望と絶望を交互にクリックし続けている。