確率

 まともには歩けないくらい足が痛いので、今夜のバレーボールは朝の時点で諦めた。おもむろに午後から出かけ、玉野の教会で2時間半勉強した。その後30分の間を置いて、夜7時のミサにあずかろうと教会に戻ると、なんと僕の漢方の患者さんがいた。40kmくらい離れたところの教会で、そこから30kmくらい離れたところの患者さんと会った。お互い何故その場にいるのか不思議がった。話すうちになんと世間は狭いものかと思った。今年に入ってから僕は玉野教会でキリスト教入門の勉強をしている。一緒に勉強をしている女性とその患者さんが友人らしい。それで教会に連れてきたらしい。元々その女性もカトリックの大学に行っていたらしいから、教会と無縁ではないが、あんなに離れている教会に二人がわざわざ出かけ会うなんて、数学の世界で言うとどのくらいの確率なのだろう。  僕には、もっと天文学的な確率の話がある。もう20年近く前のことになると思うが、牛窓にあったヤンマー造船と言う会社の社員が名古屋に出張した。名古屋で夜飲みに出かけたところで、ある人と隣り合わせになった。飲んでいるうちに岡山から来たと言うと、隣の席の男が岡山の牛窓ってところを知っているかと尋ねたらしい。彼はまさに牛窓から来たと言うと、じゃあ、大和って男を知らないかと尋ねたらしい。社員は驚いた。九州からきていたその社員は、牛窓にとけこもうと僕のバレーのチームに入っていたのだ。そして名古屋の男は、僕と大学が同級生で同じアパートに住んでいたのだ。あんな大都会のある時間に、僕を知っている人がある店で隣合う確率って計算出来るのだろうか。  教会で久しぶりにフィリピンの若者達に会った。やさしい顔で話しかけてくれる。僕が飲んだコーヒーカップもそっと近寄ってきて片付けてくれた。日本人の年配の女性も沢山いたが、彼女らの方が気がつくのが早かった。合う度に満面の笑顔をしてくれる。彼ら彼女らは常に僕の心を癒してくれる。彼ら彼女らには裏切りがない。カップを洗いながらRが「モッタイナーイ」と大きな声をあげ笑っていた。さて、彼女はなにの確率を計算して日本人固有の価値観を口にしたのだろう。