野に咲く花

 いつものようにバレーボールをしていたら、刑務所から出て来たばかりの友人が、玄関からはいって来た。バレーボールが出来る服装をしていた。僕は嬉しかった。又嘗てのようにワイワイガヤガヤと冗談を連発しながら一緒にスポーツを楽しめるから。彼の冗談は、吉本新喜劇にも勝るとも劣らない。数分に1回の割りで皆が大笑いする。そんなバレーを僕らはもう30年も続けてきた。彼のお蔭で僕等は何千回笑わせてもらったのだろう。そして何回心を救われたのだろう。  そんな彼は、酒と博打で躓いた。転落の過程をつぶさに見せられた。救うことは出来なかった。善意だけでは及ばない額になると助けることも出来ないし、関わることが危険になる。出所してまだ会っていない。会う前に昨夜夢に出てきた。  小さな町だからうわさは聞こえてくる。人目を避けているのだろうか。気の小さい善良な人間には酒も博打も心の避難所になる。鉛のように重たい心を置いてきたかったのだろう。善悪の判断が撹乱されるくらい追いこまれ、朽ちた小屋で寝、小銭を求めて街を徘徊した。誰もが1歩間違えばたどる道だ。寧ろ善人だった人間が急降下する。  一度外れた道を世間はなかなか許さない。合流は至難の技だ。懸命に生きることさえ許されないとしたら、野に咲く花はない。実は僕も最近犯罪者のように糾弾された。おそらく彼も、僕と同じように懸命に生き様としていただけなのだろう。「懸命」に軽蔑の視線を送られると喪失の渦がまく。血の気は引いて青白い精神だけが黄昏をさ迷う。  夢の中でぼくは彼を全部受け入れた。彼が帰って来たことが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。僕の心にも、野に咲く花はあった。