一緒に治れ

 過敏性腸症候群で苦しんでいた静岡県の若い女の子が「怖いくらい治ったから自分のことを話題にしてもらってもいいですよ」と言ってくれた。ほとんどの人は下の話を封印してしまうが、苦しみが大きかった分、長かった分、彼女は同じ苦しみの人を救いたいと思ったのだろう。2泊3日で帰っていった女の子の事を書いた僕のブログを読んで決心してくれたみたいだ。  彼女は19歳だと思う。高校から学校には行けなかったみたいだ。高校が自宅の前にあったらしくて、他の人と同じように学校へいけない自分が歯がゆかったみたいだ。おそらく何年かの間、いわゆる引きこもっていたのだと思う。最初はいじめが原因だったらしいが、結局、人は体のどこかを犠牲にして命を守る。彼女はおなかを犠牲にしたのだ。ガス漏れ症状で苦しんで、人の中には勿論入って行けなかったし、買い物にも美容院にも、外食も、そうなにも出来なかったのだ。暗くて長い青春のトンネルだっただろう。  去年の5月14日に初めて薬を送った。2週間分ずつ送ったが、そのたびにほんの少しずつ改善していった。とても熱心に飲んでくれたが、東京の専門学校に入学が決まってから、果たして学生をまっとう出来るのかと不安があったので、思いきって牛窓にやってきたらと提案した。いや、彼女から言ってきたのかな。入学はしたものの、案の定学校には行けなかった。アパートでも、下の階の人に臭いが行くから、厚いガラスをひいて、その上にまんじりともせず夜を過ごしていたらしい。電車にも乗れず、憧れの東京も、恐怖の街になった。  日帰りだけど、2回牛窓に来てくれた。彼女は来る時には必ず質問を持ってきて、解決して帰っていく。はじめて来た時は、ほとんど口を利かなかったが、2回目には沢山話して帰っていった。電話もしょっちゅうしてきた。疑問点は出来るだけ早く解決した方がダメージが少ない。牛窓から帰ってから彼女は見る見る過去を克服し始めた。電車に乗っても始発とか終電のデッキに立っているだけだったが、普通の時間帯に席に座れるようになった。美容院にも行けるし、耳に穴をあけるところ(?)にも行けるし、コンサートはもう何回も行った。圧巻は自動車学校にも通い始めた。教室と言うトラウマを今克服し始めている。今日はこれが出来たと電話やメールで教えてくれる。一つ一つハードルを越えて歩き始めた彼女が、自分の歩んだ苦しみを再生産させたくないと思うのは当たり前だろう。完治した多くの方は今はもう連絡することは出来ないが、不完全だが着実に回復の道を歩んでいる彼女に礼を言う。過敏性腸症候群は治るトラブルだ。主観ばかりで染められたホームページを見て、ありもしないトラブルに苦しんでいる心優しい人達を救ってあげたい。具体的に症状を公開することを許してくれたことに感謝する。  偶然だが、以前近畿地方から泊りがけで来た子が、治った人や苦しんでいる人と連絡を取り合いたいと言ってきた。僕を通せば確かな人達ばかりだから、もし望むなら橋渡しをする。ただ条件は、判断基準をあくまで医学において、ありもしない素人のお互いの足を引っ張るような情報にだまされないことだ。これさへ気をつければ皆で治っていくことが出来る。お互い慰めるような交流なら意味はない。慰めでは治らない。正しい、客観的な知識と漢方薬があればかなりの確率で治る。色々な意味で僕を利用したらいい。