インスタントラーメン

 今、勇気を出してコンビニに、インスタントラーメンを買いにいって来た。もうどれくらい食べていないのか分からないが、一昨日コンビニに行ったとき見つけて、食べてみたくなったのだ。サッポロなんとか言うやつで、86円だった。10年か20年か30年かぶりのラーメンは、ただ塩辛いと言う印象と、後悔だけが残った。何がどのくらい含まれて出来ているのか想像もつかないものを食べれるほど今の僕は元気ではない。学生時代も不健康だったが生命力はあった。その頃の肉体と今の肉体では、不自然を受け入れる容量には雲泥の差がある。今は不自然を許せば体が必ず蝕まれる。それは身をもって感じている。  当時アルバイトで塾の先生をしていた。塾と言っても落ちこぼれの集まる怪しげな塾だった。僕はお金がなかったから、塾で出されるカップヌードルが夕食だった。タバコは塾に通ってくる中学生にもらって吸っていた。髪を5年間切ったことがないので胸より下に伸びていた。そんな僕を雇う塾だから、僕に期待されていたのは、勉強より落ちこぼれの世話だったのかもしれない。案の定、最初は恐れられて距離を縮めることが難しかったが、そのうち僕に興味を持って近寄ってくるようになった。青白い顔、やせ細ったからだ、風呂にも入らなかったから臭う体。いつもお金がなくてなにも持っていなかった僕は、彼らには楽だったのかもしれない。それどころか、怠惰で非生産的な僕の存在そのものが、反面教師として彼らには希望だったのかもしれない。  何も希望はなかった。したいこと、なりたいもの、何もなかった。ただ線路の上を走る路面電車のように起伏のない人生が待っていることは感じていた。それまでの猶予の時間だとは思っていた。「なにかいいことない?」5年間で何百回、いや何千回口に出した言葉だろう。当時の学生はよくこの言葉を出していた。なにかに飢えているのだろうが、対処する脳力も経済力もなかった。唯一あったのが無限に続きそうな時間だった。拷問のようにゆっくりとした時間だった。何もすることがなくただ時間だけを無駄に食べていた。誰にも束縛されずおびえながら自由に暮らしていた。失うものがないくらい何ももってはいなかった。インスタントラーメン一杯が贅沢なくらい青春の汚泥の中に浸かっていた。あの5年間は、多くのものを得るために大事なものを失う転換期だった。