耕耘機

 母の家は、昔の町並みが残る古い住宅街だ。水害の後、薬局部分をつぶして広い空き地が出来た。駐車場に貸してくれと何人かに頼まれたが、わずらわしさで断わった。その後母が見様見真似で菜園を作り、悪戦苦闘していた。親切な人達のお蔭で、小さな収穫も味わっている。つい最近、そこに耕耘機でやってきてくれた夫婦がいる。静かな住宅地に早朝から大きな音がしたので近所中が驚いたらしい。およそ作物が出来るようなところではないが、機械で掘り返すと石ころが沢山出てきたらしい。無口なだんなと、お喋りな奥さんと、近所の人達でにぎやかな作業だったらしい。又その数日後、母が外出から帰ったら、作物を囲むようにネットで防護柵が出来ていたらしい。母が猫が来て困ると言ったのを聞いていたのだ。その夫婦が母がいない間にちゃんと完成させて帰って行ったらしい。  実は僕は最近この町がとても好きになっている。厳密に言うとこの町にいる人が好きになっているのかもしれない。牛窓に帰って30年、薬剤師として接してくれた人ばかりだが、やっと、その肩書以外の心のキャッチボールが出来る余地ができたのではないかと思っている。青春時代、雑踏の中の底知れぬ孤独に救われていた。仲間以外に心を閉ざし、強いものには向かっていった。この町に帰り、戦う必要のない30年間は、僕の価値観さえも変えそうになった。失ってはいけないものをしっかりと抱え、変わらなければならないものを差し出した。  僕の町などより数倍心優しい人が住む町がきっとこの国にも一杯ある。元気なうちに是非薬剤師として訪ねて見たい。