フィリピーノ

 今、僕に一番優しい眼差しを送ってくれるのは、フィリピンの若者かもしれない。片言の英語と、片言の日本語で意志を通わせるのだが、心が十分通訳をしてくれる。僕を見つけたら遠くからやってきて握手を求める。キリスト教的に言うと同じ共同体の人間ということになるのだろうが、僕はクリスチャンではない。しかし、分け隔てなく愛らしい笑顔を浮かべ喋りかけてくる。丁度息子や娘と同世代なのだろうが、年上を大切にしてくれる習慣が彼らからはにじみ出ている。  今日又新しいフィリピン人が紹介されたが、どう見ても日本人だった。しかし日本語が分かっていないらしい。英語で自己紹介をしていた。どうやら二人のおじいさんが中国人だったらしい。だから日本人的な顔をしていたのだ。  彼らと付き合い出して僕は英語が分からなければ分からないとはっきりいえ出した。以前はなんとなく笑ってごまかしていたが、真剣に日本語を聞き返す彼らを見て学んだ。そうして彼らは恐ろしいくらい速いスピードで日本語を覚えていく。聞くは一時の恥じ、まさしくこの格言のとおりだ。 日本で技術を学んで帰る彼らは、沢山のお土産を置いて行ってくれる。それはお金では決して買えない価値あるもの。