くらげ

 僕は全く気がつかなかった。その方の左目が全く見えないなんて。80歳をどのくらい過ぎているのだろう。腰が二重になってそれでも足りないくらいでもなお働いているその人の左目が、見えないなんて想像もできなかった。そんなことを感じさせる空きもないくらい笑顔が溢れていた。20年くらい前、くらげが目にはいったらしい。その方は酒で目を洗ったそうだ。恐らくそう言い伝えられていたのだろう。そんなことはしばしば経験することだ。それが現代的に判断が甘いと言われればそれまでだが、人はそうして困難を乗り越えていたのだ。批判する権利は誰にもない。さすがに今は海には出ないが、海に出る息子を浜で支えている。心臓は弱り、動くたびに大きな息をする。足はパンパンにはれてだるくて仕方ない。膝が痛くて曲がらない。それでもなお息子を助けて働きつづける。おいしいな、新鮮な刺身は。美味しいな、焼き立ての魚は。わずか数百円で堪能出来る美味は、二重に折れて、痛みを懸命にこらえて息子を助ける母の味だ。漁師を知らない都会の人達、息子を浜で待つ母の味を粗末にしないで。どうぞお願いだから。