カマキリ

 80歳を前にして、嫁さんに死なれた男は頼りない。食事は作れない、洗濯は出来ない、掃除はしない、風呂も滅多に入らない。夜が心細いのだろう。突然苦しまないか、息が止まらないか、遅い夜明けを布団の中で待つ。熟睡が出来ないから頭は1日中スッキリとせず悪い。軒並みコンビニ弁当か食堂だから野菜は少なく、気持ちのよいお通じなど望むべくもない。会社を経営しているから過去の栄光だけは記憶に留まるが、昨日の出来事はもう心もとない。若いものは毛嫌いし、孤独を強いられる。子供は沢山いるが誰も一緒にすもうとは言わない。  僕はかなりの忍耐を持ってその人の話を聞いてあげる。自慢話のオンパレードだが、話しつかれるのをひたすら待つ。今朝は、30分以上経過したところで、その人がかぶっている帽子の後ろ側から、ゆっくりとかまきりがのぞいた。どこから付いて来たのか、或いは薬局にいたのか分からないが、帽子に登ってくるのだからきっと背中を這って来たのだと思うが気がつかなかったのだろう。僕は退屈な話のご褒美に、かまきりの動きを眺めていた。ゆっくりと後頭部から現れて、頭頂部を経て、前頭部へ。そこからまだ降りようとしてついにその人の視線の前に。驚いて振り払うと、かまきりは床に落ちて、動けなくなった。その人の驚いた様子と振り払う動作の機敏さに僕は大笑いした。つられてその人も大笑いした。僕も彼もウツウツとした毎日を過ごしていたので久しぶりに二人とも声をあげて笑ったのではないかと思う。なんと彼は朝から3匹のカマキリを殺したそうだ。朝庭の手入れをしていて殺したと言う。嘘か本当かしらないが、のどかな薬局の光景を想像していただけたかもしれない。大きなお通じがしたいと言う彼にある処方を出した。夕方、帰りがけによってくれて、大きなウンチが出たと他の方がいる前で報告してくれた。僕は田舎の薬局でよかったとつくづく思う。あれやこれやと煙に巻いて売る必要がないのだ。所詮薬は効いてなんぼの世界。饒舌な説明には気をつけた方がいい。家賃は要らない、飲み屋はない。娯楽はない。ポケットに硬貨を数枚入れておけば半年暮らせる僕の生き方。